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あの人は変な人 #03

執筆者の写真: 木浦 ルカ
木浦 ルカ
2025年11月21日
読了時間: 9分

更新日:1月4日

第3話 「再会」


ある土曜日。午前6時。

瑞希が目を覚ましたとき、ベッドの左側はすでに冷たかった。

いつもは自分の方が早く起きるのに、今朝は崇が先だったらしい。

リビングに向かうと水を流す音がした。

崇はすでに身支度を済ませ、使ったグラスをシンクに置いているところだった。


「早いね?コーヒー淹れようか?」


瑞希が声をかけると、崇は軽く首を振った。


「今日はいいや。もう出るから。」


そう言ってスマホをポケットにしまって玄関に向かった。


「靴、汚れちゃうんじゃない?」


崇に続いて出た廊下で見慣れない靴を見て尋ねる。


「キャンプって言っても、テント張るんじゃなくて取引先の保養所。半分ホテルみたいなコテージだから平気平気。」


そう言いながら、崇は靴の紐を締めた。

接待ゴルフの時はブーブー文句ばかりなのに、アウトドアは好きだったのか。

まだまだ知らない一面があるものだ。

なんだか取り残されたような気持ちで玄関のカギを静かに回した。

残されたグラスが朝の光を取り込んで虹色にきらめいていた。



リビングに戻った瑞希はすぐに窓を開けた。

部屋に入ってくる空気はひんやりと冷たい。

鼻腔の痛みが夏の終わりを感じさせた。

洗濯機を回す。布団を干す。掃除機をかける。

いつもなら遅く起きてきたかと思えばソファで寝そべる・・・

誰かのせいで後回しになっていたことが次々と片付いていく。



家事を始めて2時間くらい経っただろうか。

ふとベランダから外を見る。

遠くの鉄塔の上まで、おおきな入道雲が広がっている。

瑞希の心はその入道雲よりもはるか上空まで高く舞い上がる。

ひとりの週末。

崇は泊まりで帰ってこない。

適当に好きなものを好きな時間に食べて、何時に寝たっていい。

今朝、一瞬胸をざわつかせた淋しさなどすっかり記憶から消えていた。


今日はたらこスパゲティを食べる。

これははっきり決めている。

健康診断の日に食べ損ねたリベンジを果たさなければならない。

コーヒーを飲みながら、買ったまま読んでいなかった小説を読もう。

ついでにケーキも注文しようかしら。

完璧な休日。


「パーフェクト」


鏡には首をかしげてこちらを睨む女が映っている。

この瞬間、瑞希はトップモデルMI・ZU・KIなのだ。

髪型のチェックを終え電灯のスイッチに手を伸ばすと、洗濯機横の紙袋が目に入った。

お盆に崇は郷里に帰省していた。

その際、法事で着た礼服が紙袋に入ったまま放置されている。

「しわになるよ」と忠告したが、放置されたままもう一週間は過ぎている。

気が付くと瑞希は紙袋を抱えていた。

自分のことは自分で、一緒に暮らし始めた時に作ったルールは守られたことはない。

なんだかなと思っても、結局いつも我慢出来ずに手を出してしまう。



南住吉商店街の中ほどに進むと、目的のクリーニング店がある。

『山内ドライ』と書かれたモスグリーンのテント庇。

色褪せて、ところどころ破れた箇所もあり、長い年月を感じさせる。

聞くと昭和40年から続いているらしい。

これまた年季の入ったガラスの引き戸を開けると、すぐ目の前に受付台がある。

瑞希が入ると、店主の年配女性が前の客の品物を確認しているところだった。

白いワイシャツが5枚、グレーのハンカチが5枚。

ハンカチを出す人がいるんだ…

しかも、シャツもハンカチもすでにクリーニング後のように綺麗に畳まれている。

紙袋を抱え、静かに待つ。

店主は枚数だけ確認しながら、慣れた手つきで伝票を切る。


「全部いつも通りでいいね?火曜日には仕上がるよ。」


「お願いします。」


軽く会釈して振り返った男と目が合った瞬間、「あっ」と声が漏れた。


先日、雨の日にハンカチと傘を貸してくれた男性だった。


「その節はどうも。」


瑞希が頭を下げると、男もコクリとお辞儀を返した。

驚きの余韻に浸る間もなく、店員が瑞希に声をかける。


「あら瑞希ちゃん。久しぶり。」


「こんにちは」


瑞希は紙袋を受付台に置く。


「礼服なんですけど…お盆に着たまま、そのままで。」


おばあちゃんが袋の中を覗き込みながら、タグを指先でつまむ。


「礼服上下ね。うん、ちょっと汗吸ってるねぇ。プレミアムで出しとく? 仕上がりきれいになるよ。」


「はい、それでお願いします。」


瑞希はふと思い出して、引き戸に手をかけた男に声をかけた。


「あの…ハンカチ、お返ししたくて。少しだけ待っていていただけますか?」


男は少し驚いたように眉を動かし、手を止める。


「はい。」


清算を済ませて、店の外に急ぐ。

男はクリーニング屋の軒先に立っていた。

姿勢の良い背中を見て、あの雨の日を思い出す。

今日は天気も良く明るいこともあり、この前のような不気味な印象はない。

暗い色のスーツ姿の時とは異なり、今日は白地に細い黒ボーダーのTシャツとカーキのスラックスという爽やかな出で立ちのせいもあるだろう。

男を見ていると、瑞希はなぜだかとても懐かしい気持ちになった。


「お待たせしました。」


「いえ。」


「お借りしたままだったハンカチをお返ししたかったんです。」


そう言ってバッグに手を入れるや否や、しまったと思った。


「すみません。いつでもお返しできるようにいつもカバンにしまっていたのですが、今日はその、出かけにカバンを変えてしまって…持っていませんでした。お待たせしたのにすみません。」


「いえ、特に急ぎの用もないですし。ハンカチももらってくださって結構ですよ。」


「本当にすみません。」


「ハンカチも私の鞄よりご婦人の鞄の方が居心地いいでしょう。」


「・・・はぁ。」


前言撤回と瑞希は思った。やはり、この人はちょっと気味が悪い。


「それでは。」


綺麗に指を揃えて手のひらをこちらに向けるとあの人は颯爽と歩き出した。

瑞希も本来の目的である『喫茶ぺぷちん』に向かうことにした。



おかしいと思っていた。

先ほどクリーニング屋の軒先で別れたはずなのに、ずっと男の後を付けている感じになっていた。

喫茶店の入り口でまた挨拶を交わす。


「あなたもこちらへ?」


「はい。」


思わず笑ってしまった。


―カランコロン―  


男は右手でドアを抑え、自然な仕草で瑞希を先に通した。


「いらっしゃいませ。二名様ですね。そちらへどうぞ。」


「お水すぐお持ちします。」


マスターに四人掛けのテーブルに案内された。


違います。それぞれ一人なんです。と訂正する間もなく、マスターは他の客に呼ばれて去って行った。


「相席になっちゃいましたね。私席移動お願いしてみます。」


「私は、書き物ができたら一緒でも構いませんよ。」


そうこうしているうちに学生さんのグループが入店してきて、今更席を移りたいと言いづらい状況になってしまった。

何でこの人と一緒に座っているのだろう。

想像もしていなかった状況に頭の中は疑問符でいっぱいだが、不思議と一緒にいてストレスは感じなかった。


湯気を出した熱々のスパゲティがテーブルに運ばれてくる。

バターときざみ海苔の香りが食欲を刺激する。

たらこの粒々が麺に絡まってつやつや輝いて見える。

気前の良く乗ったバターと海苔と麺を底からひっくり返すように、でもこぼさないように、ダイナミックに、それでいて丁寧にフォークとスプーンを使って混ぜ合わせる。

フォークで巻き取って口に運ぶ。

思いのほか多く巻いてしまったようで、ハムスターのように頬を膨らませて食べてしまった。

あの男が目の前にいることを思い出し、慌てて右手で口を覆った。

これを求めていたんだ。一口一口大切にゆっくり食べようと瑞希は思った。

幸せだ。



「この前、傘を貸していただいた日。あの日は健康診断の帰りだったんです。角のお蕎麦屋さん分かります?あそこのカツ丼か、ここのたらこスパゲティ。どちらを食べようか迷っていたら大雨でそれどころではなくなってしまって。だから今日はリベンジなんです。」


「そうでしたか。私は毎週末ここで昼食を取っています。」


「毎週ですか?」


「はい。毎週です。毎回ブレンドコーヒーとたまごサンドを注文しています。」


「毎回ですか?」


「はい。卵はアミノ酸スコアが満点ですからね。しかも茹でてあるのでタンパク質の吸収率もいいんです。」


「卵お好きなんですね。」


「あなたも卵がお好きなんですね。」


鶏卵と魚卵。どうやら私たちはお互いに卵好きだったようだ。

奥の席から、先ほど入ってきた女子高生たちの黄色い声が聞こえてくる。


「もう夏休み終わるんだが・・・」


「夏らしいことしてなくない?」


「最後プール行く?」


「水着、無理。」


「ダイエットしないと。」


「今からしても間に合わなくない?」


「そう言いながらウチらパフェ頼んでるし。」


きゃっきゃっきゃっきゃっと騒がしい。

可愛いなと思いながら耳を傾けた。

自分もかつて彼女たちのような時代があったような気がするが、遠い昔で思い出せない。

思わず「可愛いですね」と声が出てしまった。


「かわいい?たまごサンドがですか?」


男は右手のたまごサンドを不思議そうに見つめている。


「すみません。あの奥の女の子たちです。」


「はぁ。」


いまいちピンときていないようだ。


「若い子たち見ているとキラキラしてて可愛くて。水着で悩んでたこと自分もあるなぁって思ったら懐かしくて、ちょっと恥ずかしい気持ちになりませんか?うまく言えないですけど。あっ、でもパフェが別腹なのはこの年になった今も変わらずです。痩せなきゃいけないんですけどね。実は・・・今日、ケーキも注文しちゃおうかなって思っていたんです。」


「あなたは痩せる必要などありません。」


男は時を断つようにはっきりと言い切って、瑞希を見つめている。

その潔いまっすぐな言葉に瑞希は心拍数が上がるのを感じた。


「最近の研究でも、脂肪がある人の方が長生きしやすいと言われています。私などなまっちょろくて、食べて肉が付く人が羨ましいです。色も白いものですから、学生時代はもやしだとかよくからかわれていましたよ。」


今、この人、確実に私の二の腕を見て『食べて肉が付く人が羨ましい』って言ったよね?

瑞希は面食らってしまった。

幸いなことに今までの人生でここまで悪気なく無礼な人と出会ったことがなかったのだ。

何なの!と驚いて自分の二の腕に目を落とす。

そこには白地に細い黒ボーダーでフレンチスリーブの袖から逞しい腕が出ていた。


白地に細い黒ボーダー!?


自分の格好を思い出した。

思いあぐねた末に選んだコーディネートだ。

白地に細い黒ボーダーのTシャツをカーキのパンツにイン。

フレンチスリーブの少し小さめでぴったりしたシャツと、カーブパンツの描く緩やかな曲線が女らしさを際立たせてくれるはずだった。

男を見た時に感じた懐かしさの正体も、同じテーブルに通された理由も一瞬で理解できた。

顔から火が出るという感覚も今日初めて体験した気がする。

それから先は、アイスティーもたらこスパゲティも味がしなかった。



もちろんケーキは注文しなかった。

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