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その背を追って #01

執筆者の写真: OKP
OKP
2025年8月14日
読了時間: 5分

更新日:2025年11月24日

第一回『竹中半兵衛』


「あんた買わへん?」

バス停で雨宿りしていると、 見知らぬご婦人にそう声をかけられた。

京都・太秦でのことである。

ご自宅を売却したいらしく、 「800万円で売りに出してんねん。あんた買わへん?」と。

その場では笑ってごまかしたが、後になってから、ふと考える。

あれは、破格だったのではないか。

もしも、あのとき買っていたら――。


たらればは、人生につきものだ。

「もしも、あの時こうしていたら」と考えた経験は、誰しも一度や二度では済まないだろう。


そんな“もしも”を語るとき、私はいつも思い出す武将がいる。

竹中半兵衛

わずか36年の生涯を駆け抜けた、戦国随一の天才軍師。


天文13年(1544年)に美濃斎藤氏の家臣・竹中重元の子として生まれる。弘治2年(1556年)、長良川の戦いで13歳にして大将を務め、敵軍を退ける。永禄3年(1560年)、家督を相続し、菩提山城主となり、美濃国主・斎藤義龍に仕えた。翌年に義龍が死去すると、その後を継いだ斎藤龍興に仕える。


この頃、尾張の織田信長による美濃攻略が激しくなる。義龍の時代は信長の攻略をよく防いでいたが、後を継いだ龍興は若年だったため、家臣団に動揺が走り、一転して侵攻を防ぐことが困難になった。半兵衛の戦術でなんとか勝利した。


ところが主君・龍興は酒色に溺れて政務を顧みず、一部の側近だけを寵愛して半兵衛や重臣たちを政務から遠ざけていた。永禄7年(1564年)2月6日、半兵衛は主君の暴政に業を煮やし、わずか十数人で稲葉山城を内部から制圧し乗っ取ってしまう。その後、8月には稲葉山城を龍興に返還したとされる。城を放棄した後は隠遁生活を送る。


※近年では、龍興を取り巻く状況や史料の偏り(織田側の捏造など)から、一概に暗君とは言えないとする見方もある。


永禄10年(1567年)、織田信長の侵攻により斎藤龍興が稲葉山城を追われ、没落すると斎藤家を去り、北近江の浅井長政の客分として3000貫の禄を得るが、約1年で禄を辞して旧領に帰り、隠棲した。


織田信長は、浪人していた半兵衛を自らの家臣として登用しようと考えた。 美濃攻めで頭角を現していた木下秀吉に勧誘を命じ、秀吉は三顧の礼で迎えたという。 半兵衛はこのとき、秀吉の天性の才を見抜き、信長の家臣ではなく秀吉の家臣となったと伝えられている。


信長と浅井長政が敵対関係になると、半兵衛は浅井家臣団との人脈を利用して、主に調略で活躍した。元亀元年(1570年)には浅井方の長亭軒城や長比城を織田方に寝返らせている。直後の姉川の戦いにも秀吉の軍師として参陣し、合戦後も秀吉とともに横山城を守備し、浅井・朝倉軍の度重なる襲撃を撃退した。


秀吉が中国攻めの総大将に任じられると、半兵衛は秀吉に従って、中国遠征に参加する。天正6年(1578年) 5月24日、宇喜多氏の備前八幡山城の城主を調略により落城させた。


同年、信長に謀反を起こした荒木村重に対して、秀吉家臣の黒田官兵衛が有岡城へ赴き復帰を呼びかけるが、城内で捕えられ、地下牢に監禁されてしまう。外部との連絡が断たれたため、信長は官兵衛が村重に加担したと思い込み、官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)の殺害を秀吉に命じた。しかし半兵衛は信長の首実検に際し、秀吉に偽の首(病死した子どもの首)を提出させることで松寿丸の命を助け、自身の領地に匿った。後に助け出された官兵衛はこのことを非常に感謝したという。


天正7年(1579年)4月、播磨三木城の包囲中に病に倒れ、陣中にて6月13日に死去した。享年36。


竹中半兵衛は、派手な武功よりも知略と誠実さで戦国の世を支えた人物。彼の生き方は、今も多くの人に尊敬されている。 もし彼がもう少し長く生きていたら、歴史はどう変わっていただろうか。


半兵衛がもう少し長く生きていたら、――歴史は、どのように変わっていただろうか。


秀吉の晩年の迷走(朝鮮出兵など)も、彼の助言があれば避けられたかもしれない。 結果として、豊臣家の権力基盤はより強固になり、徳川の時代が訪れるのは、もう少し先のことになっていたかもしれない。


秀吉の死後に起きた混乱の中で、もし半兵衛が石田三成と手を組んでいたなら、関ヶ原の戦いの行方も違ったものになっていたのではないか。彼なら、家康の策略に対抗することも十分にあり得た。


知略だけでなく、人心掌握にも長けていた彼が、政治の安定や民政改革に尽力していたなら、 江戸時代の前に、もっと洗練された制度が整っていた可能性もある。


彼の生涯は短くも深い影響を残した。 もしその才がもう少しだけ時代に残っていたなら、日本史はまったく異なる姿を見せていただろう。


半兵衛が生きていた世界を、私は想像せずにはいられない。


参考文献

池内昭一編 『竹中半兵衛のすべて』 新人物往来社 1996年 ISBN 9784404023223


お初にお目にかかります。 歴史の深淵を日々彷徨う、ライターの岡山と申します。

齢、四十と五つを迎え、人生の円熟味とともに、歴史への愛も深まるばかり。

休日はもっぱら、錆びついた時を超え語りかける古銭たちを愛でて過ごしております。

コレクションの中でもひときわ輝くのは、室町・戦国時代に流通した永楽通宝。

かの織田信長も旗印に用いたというこの銭を手に取れば、遠い昔のざわめきが聞こえてくるような気がいたします。

また、剣の冴えわたる時代劇の世界に没頭するのも、私の至福のひととき。

特に、池波先生が描いた『剣客商売』を観れば、江戸の町人文化から武士のたしなみまで、想像の翼は広がる一方です。

歴史とは、ただ過ぎ去った出来事を追うだけでなく、そこに生きた人々の息遣いや情熱を感じ取ること。

このコーナーで、皆様と共に時空を超えた旅ができることを、心より楽しみにしております。 歴史のロマンを、共に深掘りしてまいりましょう。

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